クイーンの定員

定員No. 35:吾輩はフランスから来た英国の名探偵『ウジェーヌ・ヴァルモンの勝利』

2021年1月16日

暖炉

JazellaによるPixabayからの画像

クイーンの定員No. 35は、コナン・ドイルの友人で、ホームズもののパロディでも知られるロバート・バーの短編集です。
この短編集の収録作品のうち「放心家組合」と呼ばれる短編は、江戸川乱歩が言うところの“奇妙な味”と呼ばれる名作短編の中でも最初期に属するものであり、あの夏目漱石もこの短編を読んでいたそうです。
この短編集が完訳されたのは2010年でしたが、2020年には新訳で創元推理文庫から出版されました。
ここでは、その短編集をご紹介するとともに、文庫版に収められたホームズ・パロディについても触れます。

作品の詳細データ

クイーンの定員No. 35

The Triumphs of Eugène Valmont
『ウジェーヌ・ヴァルモンの勝利』ロバート・バー(米英1906年)ーHQR

8編収録、全編邦訳。
活躍する探偵:ウジェーヌ・ヴァルモン

  • The Mystery of the Five Hundred Diamonds 「<ダイヤの頸飾り>事件」(「ダイヤモンドのネックレスの謎」)
  • The Fate of the Picric Bomb [別題:The Siamese Twin of a Bomb-Thrower] 「爆弾の運命」(「シャム双生児の爆弾魔」)
  • The Clew of the Silver Spoons [別題:The Clue of the Silver Spoons] 「手掛かりは銀の匙」(「銀のスプーンの手がかり」)
  • Lord Chizelrigg's Missing Fortune 「チゼルリッグ卿の遺産」(「チゼルリッグ卿の失われた遺産」)
  • The Absent-Minded Coterie 「放心家組合」(「うっかり屋協同組合」)
  • The Ghost with the Clubfoot [別題:The Ghost with the Club-Foot] 「内反足の幽霊」(「幽霊の足音」)
  • The Liberation of Wyoming Ed 「ワイオミング・エドの釈放」
  • Lady Alicia's Emeralds 「レディ・アリシアのエメラルド」

入手容易な邦訳

『ウジェーヌ・ヴァルモンの勝利』平山雄一 訳(国書刊行会)に、全編収録。
『ヴァルモンの功績』田中鼎 訳(創元推理文庫)に、全編収録。
『世界推理短編傑作集2』江戸川乱歩 編(創元推理文庫)に、1編収録。


【電子書籍】なし。

完訳版は2種類

先に記したように、この短編集は2010年に平山雄一さんによって初めて完訳されました。
それが、国書刊行会『ウジェーヌ・ヴァルモンの勝利』です。
平山雄一さんは『思考機械(完全版)』など、このブログでもお馴染みです。

2020年に創元推理文庫で出版された『ヴァルモンの功績』を翻訳されたのは、田中鼎さん。
この名前は筆名のようで、翻訳には(2006年刊行を目指していたものの)15年費やされたそうです。


上述の詳細データでは初出誌(後述)の題名を優先(ただし、「<ダイヤの頸飾り>事件」「手掛かりは銀の匙」の原題のサブタイトルは割愛)したため、創元推理文庫版をメインの邦題として記しており、国書刊行会版の邦題は括弧書きで記しました。(括弧書きのない邦題は、創元推理文庫版と同じ邦題。)

創元推理文庫版の特徴は、訳者曰く、

本書の文体は非常に遊んで(挑戦して)いる。

原書に鏤(ちりば)められている古典教養に相応の雰囲気を持たせるため、夏目漱石を意識して文体を練られたそうで、難しい漢字や国語辞典にも載っていない語も用いられていたりするので、読みにくい…
…と思いきや、振り仮名も振られていることもあって、意外にこちらも読みやすかったです。

この記事では『ウジェーヌ・ヴァルモンの勝利』とタイトルに記しましたが、それは国書刊行会版がそうであるということもありますが、以前から「勝利」と訳されることが多く、馴染みがあったからです。
それでは、なぜ創元推理文庫版は「功績」という言葉を使ったか?
この点については、創元推理文庫版の「訳者あとがき」に記されていましたので、ご確認を。

24編の短編集?

このウジェーヌ・ヴァルモン・シリーズはアメリカの週刊誌<サタデー・イヴニング・ポスト>が初出です。
その後、1906年に英米の出版社から単行本が刊行されますが、その際にそれぞれの短編を細かく分けて、8短編ではなく24の章による構成とされました。
この短編集が「24編を収録した短編集」と言われていたのは、そのためです。
(当時はそう珍しい手法ではなかったようで、長編小説好きの読者にアピールするためだったそうです。)

この24の章題については、創元推理文庫版においては各短編の章題になっています。
また、国書刊行会版では「訳者解説」に各章題の記載があります。

探偵ヴァルモンのユーモラスな活躍譚

本短編集は、フランス国家警察で7年にわたり刑事局長の職についていたヴァルモンの回想録なのですが、「<ダイヤの頸飾り>事件」「ダイヤモンドのネックレスの謎」事件)をきっかけにフランス政府に免職させられます。
そして、イギリスに住むようになり、(英国ミステリ史上)最初の外国人探偵となります。

回想録にしては「失敗」も目立つ本短編集。
正直、最初の2編はイマイチな気がしましたが、冒頭で発明王エジソンにも触れられている「チゼルリッグ卿の(失われた)遺産」は各種アンソロジーにも掲載されたことがある佳品。
「内反足の幽霊」「幽霊の足音」)は、事実だけ述べれば悲劇的な感じがしますが、どことなく滑稽な感じがしました。
個人的に好きなのは「ワイオミング・エドの釈放」。やや冗長なところもありますが、結末にニヤリとしてしまいました。

外国人探偵ということで、エルキュール・ポワロの単なる先駆者にすぎない、と批評家から言われたこともある本短編集ですが、

(エラリー・)クイーンは、「フランスおよびイギリス両国の警察機構における国家的差異の風刺」を意図したものと評価した。

『クイーンの定員Ⅱ』エラリー・クイーン・各務三郎 編(光文社文庫)

そうで、作品発表当時のイギリスとフランスのややギクシャクした関係を反映して、やや間の抜けたユーモラスな探偵に描かれています。
(なお、この引用は、国書刊行会版の「訳者解説」や創元推理文庫版の「訳者あとがき」でも紹介されています。)

本短編集の白眉;「放心家組合」

私、我輩、吾輩!

本短編集の白眉が「放心家組合」「うっかり屋協同組合」)であることは、間違いないでしょう。
この短編、タイトルが「健忘症連盟」とも訳されていたりもしますが、創元推理文庫版の「訳者あとがき」によれば、原題のcoterieは組合や連盟といった物々しさもなく、「うっかり会」くらいに訳すところであろう、とのこと。
では、なぜ創元推理文庫版「放心家組合」を採ったのか? それは、「訳者あとがき」をご参考に。

私が初めてこの短編を読んだのは、創元推理文庫の『世界推理短編傑作集』の前身である『世界短編傑作集』でした(宇野利泰 訳)。
その後、国書刊行会版を読んだときに、まず何よりビックリしたのは、ヴァルモンが自分のことを「我輩」と呼んでいたことでした。
創元推理文庫版だと「吾輩」ですね。
『世界推理短編傑作集』では「私」と名乗るヴァルモン。随分印象が変わってきます。
短編集全体を通して、少々不遜な感じはあるけれど、どことなく憎めないイメージがついたヴァルモンなら、「我輩・吾輩」がしっくりきます。

なお、『世界推理短編傑作集』「放心家組合」では、各種アンソロジーに採用された際の通例に従って、「話の枕」の部分、すなわち創元推理文庫版で言えば「第1章 空しき哉(かな)、捜索令状」の部分がカットされています。
この枕の部分は、先ほど引用した「フランスとイギリス両国の刑事司法制度の相違の風刺」に関係してくる部分ですので、『世界短編傑作集』でこの短編を読んだことがある人も、ぜひ完訳版で読んでみてください。

クイーンが激賞し、夏目漱石も読み、江戸川乱歩が愛した“奇妙な味”

この「放心家組合」、創元推理文庫『世界推理短編傑作集1』の江戸川乱歩の「序」を読んでみると、内外の短編ベスト10において、いずれも上位に位置していることが分かります。
その面白さは、事件が解決したかと思いきや…というユニークな結末にあると思いますが、それは今日でも古びていません。

江戸川乱歩が言うところの“奇妙な味”については、国書刊行会版の「訳者解説」においても説明されています。
また、夏目漱石が『吾輩は猫である』のなかで、この作品に言及していることについては、創元推理文庫版の「訳者あとがき」にも記されており、日暮雅通さんの「解説」にも興味深い事実が記されています。
さらに、『世界推理短編傑作集2』巻末の戸川安宣さんによる「短編推理小説の流れ2」においても夏目漱石のことが触れられていますが、昭和の作家・火野葦平(ひのあしへい)「放心家組合」を読んでいたことも記されています。

著者のロバート・バーはコナン・ドイルの友人——ホームズ・パロディ2作品

文庫版『ヴァルモンの功績』には、著者のロバート・バーがルーク・シャープ名義で書いたホームズ・パロディ2作も収められています。

バーは編集者、作家として活躍しながら、数々のイギリスの作家とも友人になったようで、ホームズ物語の生みの親であるアーサー・コナン・ドイルとも親交が深かったとのこと。
Webミステリーズ!には『ヴァルモンの功績』の付録として、バーによるコナン・ドイル・インタビューの翻訳が掲載されています。


バーがドイルと交流があったことは国書刊行会版の「訳者解説」でも紹介されており、このように親しい仲だったからこそ、ドイルが『シャーロック・ホームズの冒険』を<ストランド>誌に連載を開始したその翌年に、バーは自分の雑誌<アイドラー>に、次のようなタイトルのホームズ・パロディを掲載したのでした。

Detective Stories Gone Wrong: The Adventures of Sherlaw Kombs「シャーロー・コームズの冒険」(1892年)

この最初期のホームズ・パロディ短編
後に、'The Great Pegram Mystery'「ペグラムの怪事件」と改題されて、エラリー・クイーン編『シャーロック・ホームズの災難[上]』(ハヤカワ文庫)の巻頭を飾ったり、押川曠 編『シャーロック・ホームズのライヴァルたち②』(ハヤカワ文庫)などにも収録されたりしたので、こちらの題名の方が馴染みのある方もいらっしゃると思いますが、いずれも品切れ状態。
今回の創元推理文庫版『ヴァルモンの功績』にて、新訳で読めるようになったのは意義深いです。
(なお、こちらの翻訳は創元推理文庫のホームズ訳を意識して訳されたそうです。次のパロディもそのようです。)
いかにもホームズ物語の雰囲気を醸し出しながら物語が進行するのですが、結末は…。

そして、『ヴァルモンの功績』に収められた、バーのもう1つのホームズ・パロディはこちら。

The Adventure of the Second Swag 「第二の分け前」(1904年)

この作品は、以前もご紹介した北原尚彦 編訳『シャーロック・ホームズの栄冠』(論創社、創元推理文庫)などにも収録されており、『〜栄冠』は絶版ではないのですが、こちらのタイトルは「第二の収穫」

「収穫」という言葉にピンとこなかったのですが、なるほど、「分け前」か。。。
Swagという単語は、今では若者のスラングとしてSNSなどでも使われているようですが、古くは俗語で「盗品」や「不正利得」という意味があるようですね。
この作品、コナン・ドイルら実在の人物が登場し、さらにシャーロック・ホームズも登場しますが、、、さすがに2001年に『バカミスの世界』(B・S・P/美術出版社)というムック本にて本邦初紹介(北原尚彦さんの翻訳)されただけはあります。。。
なお、ホームズ物語には'The Adventure of the Second Stain'「第二の血痕」(別題に「第二のしみ」「第二の汚点」など)という短編がありますが、それとの関係については『ヴァルモンの功績』の「訳者あとがき」にて触れられています。

創元推理文庫版には挿絵あり

創元推理文庫版『ヴァルモンの功績』に収められた作品ホームズ・パロディ2編も含む)には、いずれも初出誌の挿絵が掲載されています。
最近、相次いで完訳版が出版されている“シャーロック・ホームズのライヴァルたち”、すなわち『隅の老人』『思考機械』『ソーンダイク博士』などにも言えますが、作品が発表された当時の挿絵が掲載されていると、その当時を思い浮かべながら読書ができそうです。

なお、ホームズ・パロディ「シャーロー・コームズの冒険」に収録された挿絵を描いたジョージ・ハッチンスンは、1891年12月に出た新版『緋色の研究』の挿絵を描いています。
その挿絵は、こちらの文庫で確認できます。

終わりに

クイーンの定員No. 35『ウジェーヌ・ヴァルモンの勝利』は、2010年に国書刊行会で完訳版が初めて出版されました。
2020年には『ヴァルモンの功績』というタイトルで創元推理文庫から新訳出版され、複数の翻訳を味わう楽しみが増えました。
「放心家組合」はミステリの歴史に名を残し、夏目漱石も読んだと言われる“奇妙な味”の逸品。創元推理文庫の『世界推理短編傑作集2』にも収録されています。

創元推理文庫版『ヴァルモンの功績』には、コナン・ドイルとも親交が深かった著者のロバート・バーによるホームズ・パロディ2編も収められている他、いずれの作品にも初出時の挿絵が掲載されています。

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