クイーンの定員 シャーロック・ホームズ

定員No. 18:シャーロックの“ピンチヒッター”は本当に平凡?『マーチン・ヒューイット、探偵』

2021年8月8日

マッチ

Alexander SteinによるPixabayからの画像

1893年12月、英国〈ストランド・マガジン〉にシャーロック・ホームズ物語「最後の事件」が発表されたとき、

「ストランド・マガジン」発行人のジョージ・ニューンズにとって、目前に迫るホームズの死は、恐怖以外の何ものでもなかった。

マティアス・ボーストレム『〈ホームズ〉から〈シャーロック〉へ』作品社
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その2カ月後、〈ストランド・マガジン〉に掲載された作品が、マーチン・ヒューイットの活躍する「レントン農園盗難事件」です。
挿絵画家も、ホームズ物語と同じくシドニー・パジェットが継続。
ヒューイットの物語はその後も〈ストランド・マガジン〉に連載され、それらの作品は『マーチン・ヒューイット、探偵』という短編集にまとめられました。
「シャーロック・ホームズの最初のライヴァル」と言われるヒューイットが活躍する、この短編集は「クイーンの定員」に選ばれています。

この記事では、その短編集をご紹介するとともに、2021年にマーチン・ヒューイットの活躍するすべての作品が1冊にまとまった【完全版】全集が出版されたので、それについても触れて、マーチン・ヒューイットの魅力をご案内します。

作品の詳細データ

クイーンの定員No. 18

Martin Hewitt, Investigator
『マーチン・ヒューイット、探偵』アーサー・モリスン(英米1894年)ーHQR

7編収録、全編邦訳。
活躍する探偵:マーチン・ヒューイット

  • The Lenton Croft Robberies 「レントン農園盗難事件」(「レントン館盗難事件」)
  • The Loss of Sammy Throckett [前題: The Loss of Sammy Crockett] 「サミー・スロケットの失踪」(「サミー・クロケットの失踪」)
  • The Case of Mr. Fogatt 「フォガット氏事件」
  • The Case of the Dixon Torpedo 「ディクソン魚雷事件」
  • The Quinnton Jewel Affair 「クイントン宝石事件」
  • The Stanway Cameo Mystery 「スタンウェイ・カメオの謎」
  • The Affair of the Tortoise 「亀の事件」

入手容易な邦訳

『マーチン・ヒューイット【完全版】』平山雄一 訳(作品社)に、全編収録。
『世界推理短編傑作集1』江戸川乱歩 編(創元推理文庫)に、1編収録。
『マーチン・ヒューイットの事件簿』井上一夫 訳(創元推理文庫)に、6編収録(ただし品切れ中)。


【電子書籍】なし。

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マーチン・ヒューイットは平凡?

〈ストランド・マガジン〉に「シャーロック・ホームズのピンチヒッター」として登場したマーチン・ヒューイット。
彼は弁護士事務所の事務員から私立探偵として独立したのですが、概して「平凡」と言われています。
例えば、S・S・ヴァン・ダインは古今の名作推理短編を集めたアンソロジー"The World's Great Detective Stories"(1927)の巻頭解説にて、次のように述べています。

シャーロック・ホームズの足跡を追躡(ついじょう)した最初の注目すべき探偵は、アーサー・モリスンの生み出したマーチン・ヒューイットだった。彼はホームズほど華やかでも全能でもなく、ごく平凡な人物である。

『マーチン・ヒューイットの事件簿』創元推理文庫 解説(戸川安宣)より抜粋

しかしながら、では『マーチン・ヒューイット、探偵』に収められている短編が平凡かというと、そうではありません。
それについては、ストラングル・成田さんが翻訳ミステリー大賞シンジケート「【毎月更新】クラシック・ミステリ玉手箱」に執筆された次の記事をご参照ください。

光文社文庫『クイーンの定員Ⅰ 傑作短編で読むミステリー史』にある各務三郎さんの解説には、次のように記されています。

「ドイルの同時代の模倣者(イミテーター)のうちで歳月に最も長く耐えた」(クイーン)探偵であるが、イギリス人らしい平凡さが、逆にエキセントリックな特徴の多すぎる物語の探偵たちの間にあって、かえって目立つ部分もある。

『クイーンの定員Ⅰ』光文社文庫 解説(各務三郎)より抜粋

実際、読んでみるとホームズ物語と比べても遜色のない、マーチン・ヒューイットの物語。
次節では、それに迫ってみましょう。

常識の力と鋭い二つの目

僕にはなにか特別なやり方があるわけではありません。単に、常識の力と鋭い二つの目を働かせただけですよ。

「レントン農園盗難事件」(平山雄一 訳)より

最初の事件「レントン農園盗難事件」で、事件を解決したヒューイットは上のように語ります。
「常識」という言葉をよく用いるヒューイットの捜査方法については、この短編の冒頭にて紹介されていますが、ヒューイットは「当たり前の知性を思慮深く用いる以外なんの方法もない」と謙遜しています。
この短編は、創元推理文庫では「レントン館盗難事件」というタイトルで『世界推理短編傑作集1』に収録されている、今となっては定番となったトリックを扱った古典的な佳編です。

創元推理文庫『世界推理短編傑作集1』に収録されている「レントン館盗難事件」では、ヒューイットが探偵として独立する経緯が語られる、この冒頭の部分が慣例にならって割愛されています。その部分は「探偵マーチン・ヒューイット」として、創元推理文庫『マーチン・ヒューイットの事件簿』に収録されています。

賭博目的のプロの陸上レースに出場する予定のランナーが失踪した「サミー・スロケットの失踪」は、光文社文庫の『クイーンの定員』アンソロジーにも収められている作品(山本光伸 訳)。
「ディクソン魚雷事件」は、ハヤカワ文庫のアンソロジー『シャーロック・ホームズのライヴァルたち1』にも収められており(押川曠・乾信一郎 訳;ただし、冒頭の一節は割愛)、密室状況での盗難事件に偽札事件も絡んでくるのが面白いです。
「スタンウェイ・カメオの謎」もヒューイット物語の代表作と言われる作品で、意外な犯人と意外な動機に説得力があり鮮やかです。
掉尾を飾る「亀の事件」は中米ハイチへの言及があり、この事件については後の作品についても触れられています。
『マーチン・ヒューイット、探偵』に収められている各短編は、全体的に初出誌版と単行本版とに目立った異同はありませんが、この「亀の事件」については異同がいくつか見られます。

【完全版】で全作品が読めるように

『マーチン・ヒューイット、探偵』に収録されている短編はこれまでにも邦訳がありましたが、創元推理文庫の『マーチン・ヒューイットの事件簿』は2021年現在品切れ状態であり、「レントン館盗難事件」は世界推理短編傑作集に収められていたので、創元推理文庫の『マーチン・ヒューイットの事件簿』には未収録でした。
作品社の『マーチン・ヒューイット【完全版】』では、この本で『マーチン・ヒューイット、探偵』すべての短編が読めます
さらに、

【完全版】のポイント

  • 原書4冊に収録されたシリーズ全25作品を1冊に集成。
  • 初出誌の挿絵165点を完全収録。
  • 初出誌と単行本の異同もすべて記録。
  • 本邦初訳作品も多数。
単行本初出誌挿絵画家
1『マーチン・ヒューイット、探偵』 Martin Hewitt, Investigator (1894)ストランド・マガジンシドニー・パジェット
2『マーチン・ヒューイットの事件簿』The Chronicles of Martin Hewitt (1895)ウィンザー・マガジンデイヴィッド・マレー・スミス
3『マーチン・ヒューイットの冒険』The Adventures of Martin Hewitt (1896)ウィンザー・マガジンT・S・C・クロウザー
4『赤い三角形』The Red Triangle (1903)ロンドン・マガジンシドニー・パジェット
マーチン・ヒューイット・シリーズ

第1短編集である『マーチン・ヒューイット、探偵』で不満だったのは、助手兼語り手のいわゆる「ワトスン役」、新聞記者のブレットの影が非常に薄いことでした。
しかしながら、第2短編集『マーチン・ヒューイットの事件簿』の巻頭を飾る、ヒューイットの論理の進め方の特質が表れた短編「蔦荘(つたそう)の謎」「アイヴィ・コテージの謎」The Ivy Cottage Mysteryや、第3短編集『マーチン・ヒューイットの冒険』の巻頭を飾る、音符を使った暗号が出てくる短編「『コウモリ槍騎兵隊』事件」The Case of the "Flitterbat Lancers"になると、ブレットの存在感が増してくるので、そこも『マーチン・ヒューイット【完全版】』の読みどころの一つです。

なお、第2、第3シリーズの短編については、〈ストランド・マガジン〉のライヴァルであった〈ウィンザー・マガジン〉で連載され、挿絵画家もシドニー・パジェットから代わっていますが、作品に大きな変化はなく、画風も似通っているので、違和感なく楽しめます。

本邦初訳の『赤い三角形』は連作短編

1902年にホームズ物語の名作長編『バスカヴィル家の犬』の単行本が出版されて、シャーロック・ホームズが一時的に復活したころ。(『バスカヴィル家の犬』は“ホームズの死”の前の事件。)
マーチン・ヒューイットも興味深い事件に巻き込まれます。
第1シリーズの挿絵画家であったシドニー・パジェットとのコンビが復活した第4シリーズ。
〈ロンドン・マガジン〉に連載された短編を収録した最後の短編集『赤い三角形』は連作短編集で、それぞれの短編は一つの作品として成立しているものの、全体として「赤い三角形」という記号を犯行現場に残していく黒幕の存在が見え隠れし、スリラー的な面白さがあります。
この種の形式の作品の先駆けと推測される『赤い三角形』邦訳されるのは、この【完全版】が初めて。
ぜひ本書で楽しんでください。

付録として、作者アーサー・モリソンによる「マーチン・ヒューイットの略歴」も収録。

なお、シャーロック・ホームズが「空き家の冒険」で〈ストランド・マガジン〉に完全復活したのは、1903年10月号。
まさに、マーチン・ヒューイットはシャーロック・ホームズの“ピンチヒッター”だったのです。

マーチン・ヒューイット【完全版】

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終わりに

クイーンの定員No. 18『マーチン・ヒューイット、探偵』は、シャーロック・ホームズの最初のライヴァルが活躍する第1短編集。
この時代の推理小説はまだ「フェアプレイの原則」は確立していないものの、平凡のように思われるヒューイットが難事件を鮮やかに解決していく様子は、読んでいて楽しいです。
2021年に出版された作品社の『マーチン・ヒューイット【完全版】』では、この第1短編集も含んだすべてのヒューイット物語が読めるので、興味のある方はこの機会に手に取って読んでみてください。

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