クイーンの定員

定員No. 51:鉄道ファンも健康志向の方も注目!『ソープ・ヘイズルの事件簿』

2020年1月9日

汽車

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

鉄道とミステリ

と聞いて、ワクワクされる方も多いのではないでしょうか。
今回ご紹介する短編集は、「鉄道探偵小説の分野での短編における最も初期の専門家(エラリー・クイーン)であり、菜食と奇妙な健康体操の信奉者である探偵ソープ・ヘイズルが活躍する作品も収められた短編集です。
この記事では本短編集を紹介するとともに、その周辺についても触れたいと思います。

作品の詳細データ

クイーンの定員No. 51

Thrilling Stories of the Railway
『ソープ・ヘイズルの事件簿』V・L・ホワイトチャーチ(英1912年)ーHQR

15編収録、全編邦訳。
活躍する探偵:ソープ・ヘイズル(前半の9編)

  • Peter Crane's Cigars 「ピーター・クレーンの葉巻」
  • The Tragedy on the London and Mid-Northern 「ロンドン・アンド・ミッドノーザン鉄道の惨劇」
  • The Affair of the Corridor Express 「側廊列車の事件」
  • Sir Gilbert Murrell's Picture 「サー・ギルバート・マレルの絵」
  • How the Bank Was Saved 「いかにして銀行は救われたか」
  • The Affair of the German Dispatch-Box 「ドイツ公文書箱事件」
  • How the Bishop Kept His Appointment 「主教の約束」
  • The Adventure of the Pilot Engine「先行機関車の危機」
  • The Stolen Necklace 「盗まれたネックレース」
  • The Mystery of the Boat Express 「臨港列車の謎」
  • How the Express Was Saved 「急行列車を救え」
  • A Case of Signalling 「鉄道員の恋人」
  • Winning the Race 「時間との戦い」
  • The Strikers 「ストの顚末
  • The Ruse that Succeeded 「策略の成功」

入手容易な邦訳

『ソープ・ヘイズルの事件簿』小池滋+白須清美 訳(論創社)に、全編収録。


【電子書籍】なし。


ソープ・ヘイズルの事件簿 (論創海外ミステリ)

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エキスパート探偵の先駆けであるソープ・ヘイズル

作者のヴィクター・ロレンゾ・ホワイトチャーチはイギリス国教会の牧師としての生活を送るかたわら、ユーモア小説やミステリの長短編を発表していたようです。
1930年にはアントニイ・バークリーらによって創設されたディテクション・クラブにも参加し、1931年に刊行されたリレー小説『漂う提督』(ハヤカワ文庫)では、物語の発端部分を担当しています。

そんな彼のミステリ分野での重要な業績が、この短編集『ソープ・ヘイズルの事件簿』
直訳すれば『スリリングな鉄道物語』と翻訳できる、この短編集は鉄道ミステリをテーマにしたもので、そのうち最初の9編では「鉄道に関する特別な知識を必要とする事件の相談」のみに力を貸す、ソープ・ヘイズルが活躍します。
書籍収集家にして鉄道愛好家」と紹介される彼の、もう一つ変わったところは、「こと食べ物と"体育"に関しては、極めて流行に敏感」な点。消化を良くするために、人前であろうと気にせずに奇妙な各種"体操"を行ってから、野菜中心の食事を摂るのです。(主食はレンズ豆やサラダ、プラズモン・ビスケット(イタリアの子供向けビスケット)など。)

朝食時にいつもレモネードを飲むのが、彼の奇癖の一つなのだった。

「ロンドン・アンド・ミッドノーザン鉄道の惨劇」(小池滋 訳)より

まあ、朝食時にレモネードを欠かさないのは、現在ではさほど不思議な行為ではありませんが、その他にも、"神経強化体操"を始めたり、眼角の筋肉を鍛える運動をしていたり、何かとインパクトのある探偵です。

参考

1912年に出版された、この短編集の原書は大変レアな稀覯本ですが、幸いなことに、1977年に"Stories of the Railway"と改題された上で、鉄道ミステリのアンソロジーの編纂者であるブライアン・モーガンの序文を添えて復刻されました。
我々が容易に翻訳本が読めるようになったのも、この本のおかげですね。

鉄道ミステリの名作「サー・ギルバート・マレルの絵」

そんなソープ・ヘイズルの、というより、ホワイトチャーチが書いたすべての作品中で、最も有名な短編が「サー・ギルバート・マレルの絵」
創元推理文庫の世界推理短編傑作集にも、「ギルバート・マレル卿の絵」(中村能三 訳)というタイトルで収録されています。
この作品の冒頭で、ソープ・ヘイズルはアマチュア写真家であることも判明しますが、被写体はもっぱら列車や機関車…今で言う「撮り鉄」です。
カメラをぶら下げての朝の散歩を終えて帰宅し、2枚のプラズモン・ビスケットを食べようとしたところに持ち込まれた事件は、走行中の列車から中央部の車両だけが消失する、という魅惑的な事件。
このトリックは、後に江戸川乱歩が自身の少年ものに流用するくらい、抜群のアイディアです。

その他に、光文社文庫の『クイーンの定員』アンソロジーには朝倉久志 訳の「ドイツ大使館文書送達箱事件」(「ドイツ公文書箱事件」)が収められています。この作品は、ハヤカワ文庫のアンソロジー『シャーロック・ホームズのライヴァルたち1』にも「ドイツ外交文書箱事件」(押川曠 訳)というタイトルで収録されています。
これは一種のスパイものですが、そこで採られた手段は少々複雑です。
ラスト、いつも食べているレンズ豆の食事を用意できなかったヘイズルですが、

…彼ら(ダヴヘイブンの警察)は実にうまいタピオカのプディングをご馳走してくれたよ」

「ドイツ公文書箱事件」(白須清美 訳)より

と締めくくるのがチャーミング。

収録作品は全体的にやや淡泊

探偵ソープ・ヘイズルが強烈な印象を残す本短編集ですが、巻末の戸川安宣さんの解説にもあるように、「本書の特色は人物の描き込みがほとんどなされていない、(中略)多くの登場人物は名前すら与えてもらっていない」こともあって、作品全体はやや淡泊な印象を受けました。
取り扱われる事件も、密輸、列車強盗、貨車転覆など多岐にわたっており、一部の作品では図も挿入されていたりしていますが、各短編の文章が短めということもあって、現在の鉄道ミステリのようなものを期待していたら、肩透かしを食らうかもしれません。

上に挙げた短編以外で、個人的に気に入ったのは「主教の約束」
菜食主義者のヘイズルが、聖職者のフラッテンベリー主教に対して肉食について論争を仕掛けるのですが、そのやり取りがユーモラスです。
また、ヘイズルは登場しませんが、「鉄道員の恋人」(少しありきたりな展開かもしれませんが、)好きな作品ですね。
グレート・サザン鉄道の若い機関助手ジョージ・レッドベリーには、沿線の富裕な家で住み込みの手伝いをしている彼女のマギー・ボンドがいて、ジョージの乗る列車がそばを通る度に、ハンカチを振ってモールス信号を送り合うことで、互いの愛情を確認していました。マギーを雇用しているブレイク少佐は、それを快く思っていなかったのですが、ある日事件が…という物語です。

関連

『ソープ・ヘイズルの事件簿』収録作品中、「ロンドン・アンド・ミッドノーザン鉄道の惨劇」「盗まれたネックレース」は小池滋さんの翻訳です。(他は白須清美さん。)
この2作品は同じく小池さんの翻訳で、1979年の『世界鉄道推理傑作選1』(小池滋 編;講談社文庫)にも収録された作品。(前者は「ロンドン中北鉄道の惨劇」というタイトルで収録。)
後述するクロフツ「急行列車内の謎」を収めた『世界鉄道推理傑作選2』とともに、現在では絶版ですが、英文学者であり鉄道史研究家としても著名な小池滋先生の名アンソロジーです。

4カ月遅れのために「クイーンの定員」に選出されなかった?作品

古典的な鉄道ミステリといえば、ジョゼフ・フレンチ警部を描いたF・W・クロフツの十八番(おはこ)です。
『世界推理短編傑作集2』(創元推理文庫)にも、(フレンチ警部は出てきませんが)1921年に発表された「急行列車内の謎」(橋本福夫 訳)が収められています。
ただ、クロフツの短編が短編集にまとめられたのが比較的後年であるためか、彼の短編集はクイーンの定員には選ばれていません
また、クロフツの短編集は3冊だけであり、

  • Murders Make Mistakes 『殺人者はへまをする』(1947年)
  • Many a Slip 『クロフツ短編集1』(1955年)
  • The Mystery of the Sleeping Car Express and Other Stories 『クロフツ短編集2』(1956年)

です。「急行列車内の謎」は、原書では『クロフツ短編集2』の冒頭に収録されていますが、邦訳では割愛されています。)
これらは創元推理文庫の新カバーで最近復刊しました。

殺人者はへまをする (創元推理文庫)

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一方、『ソープ・ヘイズルの事件簿』が発表された同年(1912年)に、海を越えたアメリカでも鉄道をテーマにした短編集が刊行されましたが、わずか4カ月の差で、鉄道ミステリのパイオニアとしての栄冠をヘイズルに譲った探偵がいます。
それは、フランシス・リンドという作家が描いたカルビン・スプレイグという探偵です。
短編集"Scientific Sprague"(『科学的なスプレイグ』)は6つの短編を収めた鉄道ミステリ集で、スプレイグの本職は政府お抱えの化学者なのですが、友人のネバダ短絡鉄道総支配人の依頼で、鉄道にまつわる事件の謎を解明していく、という設定のようです。
邦訳は、アンソロジー『シャーロック・ホームズのライヴァルたち3』(ハヤカワ文庫)に短編「黒枯れ病の謎」(秋津知子 訳)が収録されています。

終わりに

クイーンの定員No. 51『ソープ・ヘイズルの事件簿』に収められた9編で活躍するヘイズルは、鉄道ミステリ分野での短編における最も初期のスペシャリストの一人でした。
書籍収集家にして健康志向も高い「鉄ちゃん」のヘイズルの活躍を中心に、スリリングな鉄道物語が収められた本短編集を楽しんでみてください。

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