クイーンの定員

定員No. 52:倒叙ミステリの元祖『歌う骨』

2021年4月5日

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Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像

以前の記事で、国書刊行会の『ソーンダイク博士短篇全集:第1巻 歌う骨』に収録されている作品の前半部分に収録されている短編集(クイーンの定員No. 42『ジョン・ソーンダイクの事件記録』)をご紹介しました。

今回はその後半部分に収録されている短編集『歌う骨』をご紹介します。
こちらもクイーンの定員に選ばれているのですが、それは倒叙推理小説、すなわち探偵小説が逆に語られた初めての作品集だからです。

作品の詳細データ

クイーンの定員No. 52

The Singing Bone
『歌う骨』R・オースティン・フリーマン(英1912年)ーHQS

5編収録、全編邦訳。
活躍する探偵:ジョン・イヴリン・ソーンダイク博士

  • The Case of Oscar Brodski 「オスカー・ブロドスキー事件」(「オスカー・ブロズキー事件」)
  • A Case of Premeditation 「練り上げた事前計画」(「計画された事件」、「計画殺人事件」)
  • The Echo of a Mutiny 「船上犯罪の因果」(「反抗のこだま」、「歌う白骨」)
  • A Wastrel's Romance 「ろくでなしのロマンス」(「落魄(らくはく)紳士のロマンス」、「おちぶれた紳士のロマンス」)
  • The Old Lag 「前科者」(「老いたる前科者」)

入手容易な邦訳

『ソーンダイク博士短篇全集Ⅰ 歌う骨』渕上痩平 訳(国書刊行会)に、全編収録。
『歌う白骨』大久保康雄 訳(グーテンベルク21)に、全編収録。
『世界推理短編傑作集2』江戸川乱歩 編に、1編収録。
『ソーンダイク博士の事件簿Ⅰ』大久保康雄 訳(創元推理文庫)に、4編収録(ただし品切れ中)。


【電子書籍】全編、『ソーンダイク博士短篇全集Ⅰ 歌う骨』【分冊版】下巻(国書刊行会)で読める。2021年現在、この電子書籍はAmazon Kindleでのみ販売。
全編、『歌う白骨』大久保康雄 訳(グーテンベルク21)で読める。
4編は『ソーンダイク博士の事件簿Ⅰ』大久保康雄 訳(創元推理文庫)で読める。2021年現在、この電子書籍はebookjapan(Yahoo!ショッピング)でのみ販売。
4編は『歌う白骨』、『ソーンダイク博士の推理 一』妹尾韶夫 訳(オリオンブックス)で読める。うち『歌う白骨』収録の3編は青空文庫で無料で読める。(後述)

倒叙推理小説の誕生

作者のフリーマンは、この短編集『歌う骨』のまえがきで、

読者の関心は、「犯人は誰か?」という問いよりも、「解明はいかにしてなされたか?」という問いにある。

と述べています。
世界で最初の倒叙推理小説は、事前に犯人・犯行を明らかにしておくことで、読者の関心を捜査や推理のプロセスに向けさせるという、フリーマンの狙いがあったのです。

しかし、その後の倒叙推理小説は、フリーマンの当初の構想とは裏腹に、捜査や推理の緻密さとは別のポイントを打ち出して成功を収めた作品が多いようで、この倒叙のヴァリエーションについては『ソーンダイク博士短篇全集:第1巻 歌う骨』の解説にて、訳者の渕上さんが詳しく説明されています。
例えば、犯人と探偵の対決に焦点を当てたものとしては、人気テレビシリーズの「刑事コロンボ」や我が国の「古畑任三郎」がある、という具合に。
実際、解説にもあるように、「刑事コロンボ」シリーズの生みの親、リチャード・レヴィンスンとウィリアム・リンクはフリーマンの影響をはっきりと認めています。
(そして、「古畑任三郎」シリーズが「刑事コロンボ」の影響を受けていることは、よく知られています。)
エラリー・クイーンが、

危険に満ちた、壮大なフリーマン博士の<倒叙>小説は探偵小説の発展に対する不朽の功績となり、そこから現代の優れた犯罪小説——とくに、身の毛もよだつ出来事をひとつまたひとつと追ってゆくにつれ、ついに悲劇へと導かれる純粋な心理小説が生まれている。

『クイーンの定員Ⅱ』エラリー・クイーン・各務三郎 編(光文社文庫)

と述べているように、そのムーヴメントは現代の国内外のミステリーに受け継がれているのです。
この記事では、フリーマン以後の倒叙推理小説については敢えて触れていませんが、是非とも国書刊行会の『ソーンダイク博士短篇全集:第1巻 歌う骨』の解説などでご確認ください。
(なお、先ほどのエラリー・クイーンの言及は、『ソーンダイク博士短篇全集Ⅰ 歌う骨』の解説にも翻訳があります。)

世界で最初の倒叙推理小説「オスカー・ブロドスキー事件」

創元推理文庫の『世界推理短編傑作集2』には「オスカー・ブロズキー事件」(大久保康雄 訳)というタイトルで収められている本作。
(なお、旧版の『世界短編傑作集』(創元推理文庫)には、井上勇さんの翻訳が収められていました。)
二部構成で、「第一部 犯罪の過程」では罪を犯した犯人が隠蔽工作を行う様がリアルに描かれます。
そして、「第二部 推理の過程」で、ソーンダイク博士の側から捜査のプロセスが描かれ、犯人が(そして読者も)見逃していたミスや手掛かりによって犯行が露見し、「完全犯罪」が崩れていく様が記されます。
この作品はモデルとなった犯罪実話があるようで、また、雑誌版と単行本版では異同があることは、国書刊行会の『ソーンダイク博士短篇全集:第1巻 歌う骨』の解説に詳しく記されています。

本作は英国<ピアスンズ・マガジン>1910年12月号が初出で、挿絵画家は『ジョン・ソーンダイクの事件記録』に収録された多くの作品と同じく、ヘンリー・マシュー・ブロック(H・M・ブロック)です。
『ソーンダイク博士短篇全集Ⅰ 歌う骨』には、その挿絵も掲載されています。
後に、米国の<マクルーアズ・マガジン>1911年12月号にも掲載されましたが、こちらはアブリッジ版のようです。その時の挿絵画家はヘンリー・ローリー(ラリー)。
創元推理文庫の『世界推理短編傑作集2』には、そのヘンリー・ラリーのイラストが1枚だけ掲載されていますが、国書刊行会版全集の翻訳者である渕上さんがTwitterで挿絵を公開されています。

粒ぞろいの収録短編5編の中にロマンスが一粒

短編集『歌う骨』の収録作品のうち、1作品は倒叙小説ではありませんが(それがどれかはすぐに分かりますが、ここでは一応触れずにおきましょう)、いずれも粒ぞろいの作品集です。

この中で、私の好きな作品は「ろくでなしのロマンス」
ただ、タイトルにもあるように内容がセンチメンタルなためか、この作品だけ<ピアスンズ・マガジン>には掲載されず、同じピアスンズ社が刊行するパルプ雑誌に掲載されたとのこと。
H・M・ブロックの挿絵もありません。
ただ、長編の『オシリスの眼』を読んだときも思ったのですが、フリーマンの描く古色蒼然としたセンチメンタルな描写は、現代の私たちが読むと逆に新鮮で愛おしく思われるのですが、いかがでしょうか。

『歌う骨』?『歌う白骨』?

ところで、この短編集は従来『歌う白骨』というタイトルで知られていました。
それでは、なぜ国書刊行会版の全集では『歌う骨』なのでしょうか?

骨は白くないからかしら?
ゆーじあむ
ゆーじあむ

などと思ったりもしたのですが、この"The Singing Bone"という言葉は、短編「船上犯罪の因果」の第二部の副題になっており、作中にも記されています。
あまり詳しく書くとネタバレになるかもしれないのですが、この言葉は「ある有名な民話」由来で、その民話は普通「歌う骨」と訳されているようなので、それを踏まえて国書刊行会版の全集では『歌う骨』と訳されたのかもしれません。

電子書籍情報

国書刊行会の『ソーンダイク博士短篇全集Ⅰ 歌う骨』は、Amazon Kindleにて上下巻の分冊版で電子書籍化されており、『歌う骨』下巻で全編読めます。


その他、完訳版はグーテンベルク21から『歌う白骨』(大久保康雄 訳)というタイトルで電子書籍が出版されています。
これは、1961年の中央公論社刊『世界推理名作全集3 クロフツ/フリーマン』を元にして、2004年に紙書籍で嶋中文庫から出版されたものと、内容的には同一と思われます。
(私は嶋中文庫版を持っていますが、その後嶋中文庫は倒産してしまいました。)

創元推理文庫の『ソーンダイク博士の事件簿Ⅰ、Ⅱ』(大久保康雄 訳)は、紙書籍では品切れ状態ですが、ebookjapan(Yahoo!ショッピング)にて電子書籍がそれぞれ販売中のようです。
「計画殺人事件」「歌う白骨」「おちぶれた紳士のロマンス」「前科者」『ソーンダイク博士の事件簿Ⅰ』で読めます。

オリオン・ブックス社から『歌う白骨』(妹尾韶夫 訳)が出版されていますが、これは「歌う白骨」「船上犯罪の因果」「オスカー・ブロズキー事件」「予謀殺人」「練り上げた事前計画」の3編しか収録されていません。

『ソーンダイク博士の推理 一』に、妹尾韶夫さんの翻訳で「前科者」が収録されているようです。

なお、2021年現在、「前科者」以外の妹尾さんの翻訳は以下のように、青空文庫無料で読めます。

ソーンダイク博士が活躍する短編・中編作品

すべての作品が新訳で読めるように

以前の記事で、ソーンダイク博士の活躍する長編作品をまとめましたので、ここでは中短編作品をまとめてみましょう。
2021年現在、これらは容易に読めるようになりました。
先ほどからご紹介しているように、国書刊行会から『ソーンダイク博士短篇全集』全3巻が刊行されているからです。


『第2巻:青いスカラベ』では、中編の「ニュー・イン三十一番地」(これは、後に長編に改稿され、『ニュー・イン三十一番の謎』(邦訳は論創社刊)として刊行されています)、そして、同じく中編の「死者の手」(これは、後に改稿・加筆され、長編"The Shadow of the Wolf"(邦訳は、美藤志州 訳『偽装を嫌った男』というタイトルで、Kindleストアで販売中)として刊行されました)
これらの中編は、フリーマンの生前には単行本未収録でした。
また、ノン・シリーズものも含むフリーマンの短編集"The Great Portrait Mystery"『大いなる肖像画の謎』に収録されている2短編と、ソーンダイク博士ものの第3短編集"Dr. Thorndyke's Case-Book"『ソーンダイク博士の事件簿』に収録されている7短編が収められています。

2021年4月刊行(予定)の『第3巻:パズル・ロック』では、ソーンダイク博士ものの第4短編集"The Puzzle Lock"『パズル・ロック』に収録されている9短編;この中には、創元推理文庫の『暗号ミステリ傑作選』にも収められている表題作「パズル・ロック」「文字合わせ錠」や、同じく創元推理文庫の『毒薬ミステリ傑作選』に収められている「バーナビー事件」も含まれます。
そして、ソーンダイク博士ものの最後の短編集である第5短編集"The Magic Casket"『魔法の小箱』に収録されている9短編が収められています。
以前も記しましたが、フリーマンは、アガサ・クリスティー、ドロシー・L・セイヤーズ、F・W・クロフツ、H・C・ベイリーとともに、

黄金時代の英国ミステリ作家のビッグ・ファイブ

と並び称されており、第3巻では「独創的なトリックやプロットの妙で読者を魅了する傑作が目白押し本棚の中の骸骨:藤原編集室通信より)ということなので、楽しみです。

以上、ソーンダイク博士物の全中短編42編でした。

ソーンダイク博士が活躍するその他の倒叙推理小説

『歌う骨』に収録の4短編以外で、ソーンダイク博士が活躍する倒叙推理小説は、中短編では他にも3編あります。
『大いなる肖像画の謎』に収められた2短編と「死者の手」です。(いずれも『第2巻:青いスカラベ』に収録。)
つまり、中短編では7作の倒叙推理小説を残しています。

長編では2作品。
先にご説明した、「死者の手」を長編化した"The Shadow of the Wolf"(この作品は史上初の倒叙長編推理小説と考えられます)、そして名作と名高い『ポッターマック氏の失策』(論創社)です。
渕上さんによれば、"When Rogues Fall Out"を含めれば3作になるとのこと。
この長編も、美藤志州さんの翻訳で『内輪もめ』というタイトルで、Kindleストアで電子書籍が販売中です。

終わりに

クイーンの定員No. 52『歌う骨』は、ジョン・イヴリン・ソーンダイク博士が活躍する第2短編集にして、史上初の倒叙推理小説が4編収められた作品集です。
これまでも翻訳はいくつかあって全編読むことはできましたが、品切れ・絶版などもあって、この数年、紙書籍では手に入れることが難しくなりつつありました。
しかしながら、2020年に完全新訳、初出誌からの挿絵を収載した国書刊行会の『ソーンダイク博士短篇全集』が刊行され、『歌う骨』についても読みやすくなりました。

全集は、ちょっとハードルが高い…
ラルくん
ラルくん

と思われる方は、手始めに旧訳を電子書籍で読んでみるのもいいかもしれません。
無料開放されている青空文庫でも、一部の作品は読めます。

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